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RYO オーディオ美音倶楽部

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平家谷そうめん流し

AM9:30 自宅出発 途中AMIEさんとOTさんと合流し、国道378号線
通称「夕やけライン」と呼ばれている海岸線を南下していきます。

途中、双海シーサイド公園で休憩。
私は、おやつに魚のすり身を揚げた 愛媛の名物 『 じゃこ天 』 を1枚ゲット。

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OTさんは...鯛めしにたこ焼きまで食べてます。
1時間後には食事予定なのに大丈夫なのだろうか...w

双海シーサイド公園から1時間程で平家谷に到着です。

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宮内川上流の「平家谷」一帯は、平家落人たちの哀しい伝説が残る場所。
1185年 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人たちが隠れ住んだと伝えられています。

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渓谷と自然林がことさらに美しく、今では憩いとやすらぎの場として生まれ変わり、
人々に親しまれています。

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春先から夏の終わりまでは流しそうめんを楽しむ事が出来ます。
私が子供の頃から平家谷のそうめん流しは夏の風物詩として有名なのです。

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今年の営業は、9月10日までということで、この日は最終日曜日ということもあり
多くの家族連れでにぎわっていました。

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そうめんつゆ、ネギ、タマネギ、わさびは好みで好きな量だけ入れることができます。

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食べ放題なので、お腹一杯流しそうめんをいただきました。w
先ほど、鯛めしとたこ焼きを食べたOTさんは...3分後にはお腹一杯だそうです。ww

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釣堀でニジマス釣りができます。釣った魚は1尾300円で、その場で塩焼き(無料)にしてくれます。

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しばしマッタリとした時間を過ごして次の目的地目指して出発です。

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平家谷そうめん流し

■営業期間/
 4月29日~9月10日まで毎日営業
 午前9時~午後5時まで

■利用料金/
 ソーメン流し:大人(中学生以上)500円・小学生
 250円・幼児100円
 バラ寿司:200円
 ますの塩焼き(釣ったますをそこで焼く)1匹300円
 
■団体のみ予約必要/
 予約先:平家谷売店 0894-36-2414(営業期間中のみ)
 
■駐車場/
 無料駐車場完備(50~60台)
 
■アクセス情報/
 市外から保内町へのアクセスは、保内町宮内の交差点で標識(→平家谷公園)に従い右折し、国道378号線を長浜方面へ約7km入る

平家谷そうめん流し公式ホームページはこちらをクリック






平家谷の由来

 文治元年(1185)長門の国壇の浦(現在の山口県下関市)の源平の戦に全敗した平家一族が
瀬戸内海を東西南北に落ちのびていきました。
そのうち、平有盛系一族8人は三崎半島の瀬戸内海沿いに流れつき良き場所を求めて
逃げ落ちた場所が、現在の平家谷であるとされています。
 その当時、この地は昼夜の区別がつかないほどの入らず山であり、
彼らは此処へ身を隠して百姓になりました。

その後、東・西へ見張所を造り毎日見張りをしながら500m位下の現在のハザマ谷の荒地を
毎日開墾して3年の月日がたったある日、見張人が白サギ鳥が海岸近くに群れ飛ぶ様を
敵の白旗と見誤り、今敵らしい白旗が海岸の方より押し寄せて来ると皆に知らせました。
一同は、逃れる術もなく、捕らえられて憂目を見るよりはと相談の結果、
平家の子孫を跡へ残したいと話し合い、2人を残して6人の者は、ハザマ谷の田の中で
切腹してしまいました。
 残された2人は、6人の死体を平家谷の入らずの森の岩穴へ埋め、その後は両家部落で
生き続けました。そして、平家谷へは一切近づけなくなり両家部落の方々が切腹された方々の
霊を慰める為、旧暦の11月初申の日に部落中が集まり、毎年田で取れた米で酒を造りお祭りを
することにし、お祭りの日には、弓の稽古、神楽、その他の行事を行うようになりました。
しかし明治34年頃、家庭で酒を造る事が禁止されこのお祭もなくなってしまいました。
 

その他、6人が切腹したハザマ谷には、大正10年頃まで石むろが築かれ自害の場所の印が
残れていました。
また、平家谷及びハザマ谷は明治の中頃まで女人は一切近づく事が出来ず、白い物は敵源氏の
旗示であるので身につけず、平家の子孫は正月にも白餅をつくことも出来ませんでした。
代わりに12月末には赤飯を造り正月15日まではその赤飯に毎日お茶をかけて食べていましたが、
この習慣は大正10年頃にはなくなりました。
 そして、現在の両家部落及び枇杷谷部落又は鼓尾部落は一族が半島へ流れついて平家谷まで
逃げのびる途中弱りはて、音楽が好きであった一族のものが鼓尾部落へは「つづみ」を捨て、
枇杷谷部落へは「びわ」を捨て、残された2人が部落へ住みつく事になり両家部落の名前が
ついたといわれています。

                                    八幡浜公式HPより
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by contakuto79 | 2009-09-08 02:18 | グルメ | Comments(0)
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